人への感謝初めての感情 園生が語る再生への道
借金地獄、薬物依存、家庭内暴力――。心道学園で暮らす園生の多くはこうした苦難にあえぎ、救いを求めてここに来た人たちです。凶悪犯罪に身を染めた人もいます。でもどんな事情があれ、学園は彼らを拒むことなく受け入れ、共同生活を通じてそれぞれの人生再建の道を模索してきました。
その道を歩んでいる園生を何人か紹介しようと思います。トップバッターは園生の中で2番目に若い24歳の市橋佑樹さん(仮名)。これまでの半生と学園で自分がどう変わったかを、自身の言葉で語ってもらいます。
「気が付くと薬物中毒に」
園生の市橋佑樹と申します。私の両親は私が幼い時分に離婚しました。母はアルバイトをしながら女手一つで私と兄の兄弟を育てました。兄は大学を出て料理の道に進みました。私は高校を出た後、ヨーロッパに留学し、デザインの勉強をしました。ファッションデザイナーになりたかったからです。
そこでドラッグに手を出してしまいました。向こうでは多くの人が割と普通にやっているので、少しも罪悪感はありませんでした。ドラッグを吸って絵を描き、デザインを考えると、次々にいいアイデアが湧き出てくる気がしました。自分の絵に感動すら覚えました。
「もっといい絵を描きたい。僕には描ける」という思いが膨らみ、どんどんドラッグにのめりこんでいきました。マリファナにも手を出しました。気が付くと食事は一切取らず、マリファナを吸っては夜も寝ずに絵を描く毎日になっていました。完全に中毒でした。目つきも異常で、手が震え、やせ細っていました。
異変を感じた母が日本から飛んできました。薬物中毒になった息子を見て愕然としていました。「お前を信じていたのに。頑張ってくれているとばかり思っていたのに」と泣かれ、生まれて初めて怒鳴りつけられました。申し訳なさでいっぱいでした。
母の涙を見て帰国を決心しました。帰国してすぐ病院に行きました。自律神経失調症と思い、神経科に行きましたが、診断は「統合失調症。ドラッグの後遺症と考えられる」でした。発達障害も指摘されました。残酷な宣告でした。母の精神状態もおかしくなりました。
「褒められてうれしかった」
2008年2月、心道学園に来ました。最初は自分で自分の身の回りの世話もできませんでした。布団のたたみ方や掃除の仕方もわからなくて、同室の園生に聞きました。そういうなんてことない作業が私には新鮮でした。でもやっぱり早く園を出たかった。逃げ出そうとも思いましたが、勇気が無くて実行しませんでした。
そのうち厨房の掃除を任されました。なべ磨きや包丁とぎもしました。手にする物がきれいになると、それだけで感動しました。みんなに褒められたのも、とてもうれしかったです。学園では園生みんなでお経を詠むのが日課ですが、お経を大声で詠むと不思議と心が安らぎ、母親や周囲への感謝の気持ちが膨らみました。ここでご飯を食べさせてもらっていることにも感謝が芽生えました。人への感謝なんて、それまでまったく知らなかった感情でした。
だいぶ気持ちが安定し、2011年9月に退園しました。都内のグループホームに行き始め、健常者の指導の下、障害者向けの食堂で働きました。私の働きぶりを評価してくれたのでしょうか、「食堂の店長をしてみないか」と誘われました。ありがたい話でしたが、断りました。無性に学園に戻りたくなったのです。
母親に相談しないまま、直接学園に電話し、理事長に「学園に戻りたいです。学園のお手伝いがしたいです」と申し出ました。理事長も「戻っておいで」と受け入れてくださいました。
「やっと母に恩返し」
退園後は母に生活費を送ってもらっていたのですが、手元にお金があるのに「お金がない」とうそをつき、送らせたこともありました。でもそういううそは留学の時みたいに母を泣かせることになると反省し、うそつきの自分から抜け出すためにもう一度学園に戻ろうと思ったのです。母に「学園に戻るよ」と伝えると、母は「おまえの決心がうれしい。学園に行って、人の役に立ってくれるならもっとうれしい」と喜んで賛成してくれました。
今は毎朝、学園のロビーの掃除をします。窓ガラスもきれいに拭きます。中庭のクモの巣も取ります。たまに母が理事長に手紙を送ってきます。理事長から聞く文面から、母が今の私の状態を喜んでいることがうかがえます。母が面会に来てくれたとき、母の笑顔を見るととても幸せを感じます。やっと苦労をかけてばかりだった母に恩返しと親孝行ができたと思っています。
市橋さんの話、いかがだったでしょう。私は彼が再び学園にやって来たとき、前理事長の合田お上人が「ここに2度来るやつは本物だ」と話していたのを思い出します。お上人は市橋さんが「心底から自立の道を探している。もうふらつくことはない」ということを言ったのですが、私はこの学園が、園生にとって二度も三度も来たくなるような「本物の人間再生の場所になった」とも受け取りました。少々、自画自賛し過ぎでしょうか。
次回のコラムでは借金苦の果てに学園に来た男性に登場してもらいます。